山本彩とSusan Tedeschi(その2)

山本彩と Susan Tedeschi(その1)より続く)


山本彩の夢は生涯、歌い続けることだそうだ。

ファンとしては歌い続けてもらうことに何の文句もないが、生涯独身で歌に人生を捧げましたなんていう、ちょっと暑苦しいのは願い下げにしたい。良い伴侶を見つけて、何人か子供を作って、子育てを楽しみながら音楽を続けてもらいたいと思う。

様々な重圧があるトップアーティストにとって、円満な家庭生活をおくることなんて夢物語だという声もあるかも知れない。しかし、そういう奇跡も世の中には存在する。

ロールモデルは、Susan Tedeschi だ。グラミー賞には何回かノミネートされていて2011年のベストブルースアルバムを受賞しているが、日本ではそれほど有名ではない。だが、彼女を知る人なら、彼女がシンガー兼ギタリストとしてトップにいることに異論はないだろう。そして、それよりも大事なことは、彼女がとても幸せな人生を送っていることなのだ。

Susan Tedeschi

山本彩と Susan Tedeschi を並べてみようと思ったのは、去年のツアーで山本が丈の長い妙なワンピースを着ていたことに遡る。古代ギリシャ人のような白いドレスなんだが、山本は背が小さいから長いスカートは似合わない。そもそも、パンクバンドの女性リードギタリストの革のミニスカートならともかく、こういう格好にエレキギターはとても奇妙な取り合わせだ。

それと同じ違和感を感じたのが、今年の Greenwich Town Party*1における Susan Tedesch iだったのだ。

おなじ丈の長いワンピースと言っても、山本の方は結婚式を終えて、これから新婚旅行を兼ねた入植地探しの旅に出かけようとする西部開拓時代の花嫁みたいな格好で、Tedeschi の方は、その花嫁の20年後、大きな牧場の真ん中にある一軒家の台所から、昼食のための山羊の乳搾りに出てきた主婦のような格好だが、いずれにしてもギブソンレスポールの似合う格好ではない*2

だが、女性ブルースシンガーの第一人者 Susan Tedeschi は、ギタリストとしても只者ではない。上の写真では見えないが、Tedeschi の上手側でギターを抱えているのは、この日のヘッドライナーの Eric Clapton、下手側で伴奏しているのは超絶技巧のスライドギタリスト Derek Trucks だ。Tedeschi は新旧ふたりの伝説のギタリストに挟まれながらも、普段通りの堂々としたギターソロを披露する。

もっとも、Tedeschi が落ち着いているのも当然で、Derek Trucks こそが彼女の最愛の夫なのだ。

結婚、そして、バンドの統合

Susan Tedeschi と Derek Trucks が結婚したのは2001年の12月。長男が生まれたのは翌年の3月だから、所謂デキ婚なのだろう。その時 Tedeschi は31歳の女ざかりだったのに対し、夫の Trucks はなんと22歳。誰が見ても、年上のお姉さんが若い男を誘惑した図式になる。

ただ、Tedeschi が誘惑したかどうかはともかく、ふたりのプロミュージシャンとしてのキャリアはあまり変わらない。Trucks は、10代前半から既に The Allman Brothers Band のサポートギタリストをしていた天才少年だったのだ。そして2001年の時点では、自分のリーダーバンドも持ち、Dickey Betts を襲って The Allman Brothers Band のリードギタリストにおさまっていたから、前年にグラミー賞新人賞にもノミネートされていた Susan Tedeschi になんら引けをとらないどころか、ミュージシャンとしてのステータスは彼のほうがより上だったとさえ言えるのだ。

さて結婚した二人だが、2004年には長女も生まれて家庭生活は順調。しかし問題もある。お互いがキャリアを積めば積むほど人気が上がり、それぞれのバンドが忙しくなる。まして Trucks には The Allman Brothers Band があるから*3、一緒に過ごす時間が少なくなる。そこで、Tedeschi が Trucks のバンドに客演したり、ふたつのバンドでツアーを一緒にやったり、Tedeschi のアルバムを Trucks がプロデュースしたりしていたのだが、その根底には、夫婦としての愛情だけでない、お互いの音楽性に対するリスペクトがあったのは間違いない。

二人は子育てにあたり、Trucks の故郷である温暖の地フロリダ州ジャクソンビルに自宅を設けた。そして、ミュージシャン夫婦らしく自宅にスタジオを作った。二人の人柄もあり、このスタジオには音楽仲間が自然と集まるようになっていく。そして、ある時、夫婦それぞれのバンドメンバーと仲の良いミュージシャンを集めて、このスタジオでひとつのアルバムを作成することになったのだ。

これが「Revelator」。名盤である。これ以降、このときの集団は、Tedeschi Trucks Band と呼ばれることになる*4。TTBは現在では12人の大集団になっている。

幸せ太り

Tedeschi と Trucks のペアを世界一ギターの上手い夫婦と言う人もいる。実際、Tedeschi のギターは夫のスライドギターよりもブルージーな、正統派のブルースギターだ。だが、近頃、Tedeschi がギターソロを行うことが少なくなっているような気がする。昔のようなブルースらしいブルースを歌うことも減ってきているようだ。

おそらく、それは Tedeschi Trucks Band の雰囲気なのだろう。上の動画を観てほしい。TTB の全員が楽しそうだ。才能あるミュージシャンが集まると、音楽はどんどん自由になる。ブルースでもロックでもジャズでもない、それらを含めた全てなのだ。

彼女は Derek Trucks のギターソロが始まると、後ろを振り返って、とても嬉しそうな顔をすることがある。それは夫に向かって「あんた、ええ音やな」と言ってるようでもあり、他のメンバーに「でや、うちの旦那、うまいやろ」と自慢しているようでもある。

幸せは人を太らせるようだ。Susan Tedeschi が最近スカートをはくのは、若い頃の革のパンツスーツがはいらなくなったからに違いない。

ボストンで Mississippi John Hurt や Lightning Hopkins を聴いて育った少女は、いまや世界最高のギタリストに数えられる9歳下の夫と10人の才気あふれるミュージシャンをバックに、今日も歌うのだ。


山本彩さん、歌い続けるとは、こういうことじゃないのかな。

*1:アメリコネチカット州グリーンウィッチで、地位振興のために毎年開催されるコンサート。Greenwitch はロンドンのグリニッジと同じ綴だが全く別の町

*2:上の写真は二人ともレスポールを持っている。Tedeschi はストラトキャスターも使うが、レスポールを使うことが一番多いようだ。去年の山本のツアーの写真は例の白いグレッチを持っているものばかりなので、レスポールを持っている画像を動画からクリップした。ちなみにレスポールというのは、正確には Les Paul Model といい、実在のギタリスト Les Paul のシグネチャーモデルである。Les Paul は発明家でもあり、このギターも単なるシグネチャーモデルではなく Les Paul とギブソン社の共同開発である。Les Paul はミュージシャンとしては長命で2009年に94歳で無くなった。面白いことに、Susan Tedeschi と Derek Trucks は、2002年にカーネギーホールで行われた Les Paul の記念コンサートで、Les Paul 本人と共演したことがある。このときは、生まれたばかりの二人の長男も舞台に上がったそうだ

*3:TTB の結成から4年後の2014年、Derek Trucks は The Allmann Brothers Band も脱退する。オリジナルメンバーの Gregg Allman や Derek のオジである Butch Trucks にすれば、Derek がバンドを引き継いでくれることを期待したのだろうが、彼は妻と作る音楽を選んだ。彼の脱退により、45年続いた伝説のバンドは実質的に終了した

*4:元になったふたつのバンドは自然に消滅した

山本彩とSusan Tedeschi(その1)

数週間前、地下鉄御堂筋線難波駅の下りホームの柱が、大きな山本彩の顔で埋め尽くされていることに気づいた。ちょうどホームが緩いカーブをしているので、地下駅を支える20本近い太い柱に描かれた彼女の顔はちょっと壮観だ。

またあるときは、1編成10輌の社内広告が全て山本彩だった。この人はこんなに大物だったのかね?


なにわともあれ、彼女がやっとアイドル稼業から足を洗ったらしい。

だがミュージシャンに専念することを彼女のファンが心配しているようだ。「成功できるのかしら?」

私などは彼女のアイドル活動を良く知らないから、何を心配しているのか良くわからない。すでに一流のミュージシャンなのに、いまさら成功するかどうかなんて。

まあ、ギタリストとして一流かどうかなんて言われたら、それは違うだろうが、シンガーとしては完全に自分の世界を確立している。あの声と律儀なリズム感は癖になる。私はJポップが苦手なのだが、山本彩を聴いていて、その理由が分かった。Jポップはリズムを軽視するのだ。うまいと言われる人ほど、その傾向がある。山本にはそれがない。鼻歌みたいに歌っていてもリズムをきちっと表現する。少なくとも私にとっては、日本人で彼女以上の歌手はいない。


METROCKの出来には驚いた。ツアーよりもはるかに良い出来だった。別にツアーが悪かったわけではないが、ロックフェスに合せたステージングの見事さは予想を越えていた。モニタスピーカーに足をかけてアコースティックギターをかき鳴らしたスタートから、観客にタオル廻しを強要したラストまで、全ての所作が計算されていた。他のロックバンドのフロントマンがまるで素人に見えたのは、エンターテインメントの世界で長く生きてきた証しなのか。

確かに彼女の場合は、アイドルとしての経験がステージに生きているようだ。だが、それはあくまでも経験としてであって、「アイドル」という言葉で連想されるような稚拙さとは程遠い。むしろプロフェッショナルなベテランのロックシンガーだ。


そんな彼女が、やっとミュージシャンに専念する。心配は多才すぎることだ。ミュージカルにまで手を出してみたいらしい。

アイドル時代は重荷を背負わされていたようで、それを降ろしたばっかりで申し訳ないけれど、日本のロックを背負ってね。


(このテーマが長くなり過ぎたため分割しています。今回はSusan Tedeschiは登場しません。その2に続く)

Toshlと山本彩

UTAGEというテレビ番組で、X JAPANのボーカリスト山本彩のギター伴奏で「Say Anything」を歌った。私は山本彩が目的で録画していたのだが、身を削るような凄まじいシャウトを聴かされることになった。


Toshlは明らかに声帯を台無しにする危険を犯していた。彼は歌の後、中居正広に問われて「UTAGEで歌わせてもらうのが光栄だ」などと適当なことを言っていたのだが、ひとつのテレビ番組のためだけにそんなリスクを取るだろうか。

私にはその原因が、澄んだ眼で隣の彼を見つめていた、セッションの相手である黒髪のギタリストにあるように思えた。気に入った女のために精一杯の格好をつけるのは、大人になりきれない男の沙我である。高名なロックシンガーであろうが、近所の大工の棟梁であろうが、それは変わらない。

看板娘を目当てに近所の喫茶店に通う中年男が「ねえちゃん、よう働くから、褒美にワシの歌、聴かせたろか」と言うのに、「ほんま?嬉しいわあ」と娘が答えるのを愛想とも聞かず、「よっしゃ、これでもワシは歌うまいねんで。ねえちゃん、ギター頼むわ」という調子に見えた。

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Toshlは「おっちゃんの声、ええやろ」とでも言うようにセッションの冒頭から挑発してきた。だが、Toshlの美声を堪能するに十分な余裕があるはずの山本彩は、素知らぬ顔でやり過ごす。

単音のピッキングにやや難があるように思える彼女も、コードストローク中心のアレンジでは落ち着いたものだ。アップストロークによるリズムの取り方が秀逸で、何よりもアコースティックギターをとても良い音で響かせる。

アカペラパートの後、漸く彼女が反応した。「ぐいぐい来るなあ。ついて行かなあかんかな」という風情で、ダウンストロークはより奔放に、アップストロークはより力強くなる。だが、テンポを上げるような愚は犯さない。あくまでも中心は歌であって、ギターではない。それが彼女の生真面目さであり安定感だ。逆に言えばノリの悪さでもある。

それでも、出番を終えて聴いていた秋川雅史が「(Toshlの)エネルギーを感じ取って、彼女が自分もついていこうというエネルギーにしたあの瞬間、ぞくぞくっときました」というぐらいだから、山本の出来も悪くはなかった。

エンディングはToshlの独壇場だった。彼の声が破れていたのを、昔はもっと高音が出ていたと嘆く連中もいるようだが、それは違う。きれいな声のスクリームなんて若い時だけのものだ*1。最後にはToshlの声は完全に破綻していたのだが、彼は最後まで押し切ってしまった。魂の込められたシャウトだった。


結局、Toshlのこの日の目的のひとつは完遂できたようだった。それは、彼を見つめるギタリストの眼差しが「おっちゃん、ほんまに歌うまいねんなあ。ちょっと涙でてきたわ」と言っているように見えたからだ。

Toshlが伝えたかったこと

もちろん、MCの中居に弄られていた人の良いおっちゃんは、唯のおっちゃんではない。世界最大の音楽フェスティバルである今年のコーチェラで、セカンドステージ*2のヘッドライナーとして、メインステージのヘッドライナーであるBeyonceと「対戦」した*3メタルバンドのリードシンガーなのだ。コーチェラの評判はとても良く、沈滞するロックシーンにおける復活の旗手のような扱いだったようだ。

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去年のWembley Arena公演は大成功だったし、ドキュメンタリー映画も異例の大ヒットになった。X Japanは、海外活動に関しては、若いころよりも遥かに成功しているように見える。Loudwireだったか、X Japanはロックの次の世代((日本のではなく、世界の)を育てる義務を負っているという論調さえあったほどだ。

そのX JapanではYOSHIKIばかりが注目されているが、このリードシンガーの存在なくして、彼らの成功はあり得ない。伝統的にロックでは、リードシンガーとリードギタリストの評価で全てが決まる。


Dailymotionでコーチェラの録画映像を見ることが出来る。面白いことに、UTAGEの方が却って、Toshlの気持ちが入っているのではないかとすら思える。そこから推測できるのは、Toshlにはもうひとつの、もう少し真面目な目的があったのではないかということだ。

彼は、Instagramで山本とのツーショット写真に次のようなコメントをつけている。

山本彩さん、次世代担うアーティストとの感動コラボ。ひたむな思い込めた演奏。大切なこと思い出させて頂きました」

まず分かることは、Toshlは山本のことをとても気に入っているが、それはアイドルとしてではなく、ミュージシャンとしてであることだ。つぎに「ひたむき」という言葉だ。これはひとつには 、彼女のギタリストとしての技量がまだ十分でないことを言っているのだろう*4。それにも関わらず、彼がセッションを十分に楽しめたのは、彼女の音楽に対する真摯な姿勢だったというわけだ。


最も重要なことは、Toshlは、山本が次世代を「担う」と考えていることだ。

では、山本は次世代の何を担うと期待されているのか。それが単なる音楽シーン全体を言っているのではないことは、彼が番組終了後のインタビューで語った言葉から分かる。

「こちらがロックのスピリットを出していくと、それに呼応するようにギターで絡んできてくれるんじゃないか、2人の相乗効果で思い切りパワーが爆発するんじゃないかなと思った。その通りになりました」

彼は、山本が「ロックスピリット」を理解できると信じていたこと、そして、それが正しかったことを言っている。

つまり、Toshlは山本が「ロックシーン」を担うことを期待していたのだ。そして自らがロックシンガーとしての在り方を示すことによって、彼女を育てようとしたのだと考えれば*5、彼ののめり込みようが納得できる。Toshlが喉のリスクを犯してまで伝えようとした気持ちに、山本は、はたして答えることができるのだろうか。

数日前、山本はアイドル稼業を退きミュージシャンに専念することを発表した。このときのToshlとのセッションが、その判断に何らかの影響を与えたと考えるのは、決して穿った見方ではないと思うのだが。

*1:いくら男がスクリームを頑張っても、今をときめくSu-metalに勝てるわけがない

*2:Mojave Stage。正確にはセカンドステージかどうか不明なのだが、タイムテーブルと収容人数から推測すれば正しい表現と言えるだろう

*3:土曜日の最終時間帯にステージが組み込まれたので「対戦」という表現がふさわしい。grammy.comの記事もそのように煽っていた

*4:彼がいつも一緒のギタリストに比べたら、あたりまえのことではある

*5:世界のロックシーンを導くかわりに、日本のロックシーンを育てようとしているのか