伊賀惣国一揆

伊賀は伊賀惣国一揆の国である。惣国一揆は一人の大名によるのではなく、有力な国人の連合による自治政府である。支配は主従関係ではなく互恵関係で行われる。そのため国人たちの自立意識は極めて高い。そして、決して多くない人数で自国を護るための方法論を追求したのが後世、忍術とよばれることになる。

伊賀惣国一揆は、織田信長によって壊滅させられる(天正伊賀の乱)。信長は伊賀を他生と呼んで忌み嫌ったと言う。専制君主を目指す信長の意識はそもそも、自治政府とは相容れない。信長は伊賀の方法論であるゲリラ戦法や諜報技能だけではなく、国人の誇り高き独立心そのものを嫌ったのではないだろうか。

天正伊賀の乱の後、多くの国人は他領に逃れた。彼らの中には生活のために、彼らの戦いの術(狭義の忍術、萬川集海に言う隠忍)を利用したものも多いと思われる。しかし、やはり多くの国人は伊賀に留まった。現代でも、伊賀地方の旧家では、信長に対する反感を抱く人々が多い。