ロジャ・メイチン氏のその後

(今までメイチン氏の名前を「ロジャー」と表記していたが、「ロジャ」に改めた。本人が自著で「ろじゃめいちん」と表記しているためである)

竹内街道を歩く計画があって、司馬遼太郎の「街道をゆく」第1巻を読んだ。

ロジャ・メイチンという英国人の若い言語学者が印象に残った。彼がある時、深泥池(みぞろがいけ)の語源について司馬に質問し議論になるが、結果的には司馬の方の旗色が悪くなってしまう。そこで司馬は、目先を変えようとしたのか「街道をあるく」の取材に同行するように誘う。このエピソードが、竹内街道編の冒頭に出てくる。

本編の中でも彼の言動は重要な役割を果たしている。司馬に対して物語のきっかけとなる問いを発し、話の展開に客観的視点を与える。竹内街道編の主題は出雲族とメイチン氏とさえ思わせる。

文章の中で紹介されているところによると、彼はシェフィールド出身。ケルト系の名前を持ち、ケルトの子孫であることを意識しているが、容貌は完全にアングロサクソン系である。言語学と言っても、実は日本語を対象とした言語学(この分野の研究者はたいへん少ない)で、日本語はそこに日本人の空気を感じさせるほど極めて堪能。日本語の研究を修めたのはケンブリッジ大学で、修士課程終了後に日本に来た。彼の話す英語は所謂、オックスブリッジ語で、普通のイギリス人には分からないことが多い。日本人がアメリカ風の下手な英語を話すのを極めて嫌い、同じように司馬が下手くそな標準語をしゃべるのを嫌う。言語学研究の国立の研究機関に就職を希望しているが、日本国籍でないので難しい。そのためもあり帰化を望んでいるが、日本への帰化は極めてハードルが高い。帰化のために日本人と結婚することを勧める人もあるが、本人は結婚自体に全く関心がない。

ロジャ・メイチン氏が今はどうしているのかと探した。しかし、「江戸時代を見た英国人―日本及び日本人は彼らの目にどう映ったか」という著書と他に数編の論文しか出てこない。1980年代で足取りが途絶えている。

母国へ戻ったのかと思い、英文で検索してみた。名前の綴りが分からなかったが、試行錯誤の結果やっと"Roger Machin"であることが判明した(Rodgerと思い込んでいた)。やはり、イギリスへ戻っていたようだ。

そのうち、"Memories of Roger Machin by his brother, Andrew, also an old boy of High Storrs"*1なるページに辿り着いた。残念ながら、メイチン氏は2002年に心臓発作で亡くなっていた。イギリスのフォークストンという町のアパートで、迎えにきたタクシーの運転手に発見されたそうだ。友人を訪ねるべく日本へ旅立つ日の朝だった。1943年生れ、享年59歳。

結局、彼は日本で研究者としてやっていくことは諦めたようだ。あと10年若ければ、彼のような経歴の研究者は日本で十分にやっていけただろうにと思う。彼にとっては不本意かも知れないが、比較文化論的手法で日本文化を扱うことができ、なおかつ海外にも発信できる研究者は引く手あまただ。今なら日本国籍を持たなくても国公立大学で研究職につくことは難しくないし、一流の研究者が日本国籍を取得することはたやすい。

メイチン氏はイギリスでは主に、日本語の翻訳家として活躍していた。非常勤講師などもやっていたが、やはりイギリスでも常勤の研究職にはつけなかったようだ。日本語言語学の教授ポストがイギリスで見つかるとは思えない。彼は晩年かなり太っていたようで、これが心臓発作の原因となったのかも知れない。追悼記事を書いた兄弟は、日本のビールを飲みすぎたのだろうと言っている。

*1:URLは、http://www.highstorrs.org.uk/memories-rmachin.html だったが、現在はこのページがなくなっている。High Storrs校のサイトが改変されたようだ。なお、この学校は共学の中高一貫校らしい。彼も彼の兄弟もここの卒業生とのことだ