狐神とは何か

BABYMETALは、狐の神に導かれていることになっている。

その狐神とは何なのか。

稲荷神社

メギツネなどで使用されている狐面は、明らかに稲荷神社の狐である。稲荷神社には、狛犬のかわりに狐の像が左右に並んでいる。

近世「伊勢屋、稲荷に犬の糞」といわれるほど、江戸には稲荷神社が多い。それは、江戸時代初期には稲荷大明神が戦いの神に擬せられていたため、江戸の大名や旗本が競って稲荷大明神を屋敷内に祀ったからである。その後、町人の力が上昇してくると、今度はお稲荷さんが商売の神とされ、各町内に祀られることになった。

ところで、江戸の稲荷神社はほとんど、京都の伏見稲荷大社から勧請したもので伏見稲荷末社である。伏見稲荷大社本殿の北側に広がる稲荷山を周回する参道は一周すると2時間ほどだが、参道の至るところに朱塗りの鳥居が並び、一種異様な雰囲気を作っている。現在では外国人観光客の人気スポットになっているそうな。

伏見稲荷の元は、現在の京都市周辺を拠点とした渡来系の氏族である秦氏氏神である。山城国風土記では「秦氏の祖である伊呂倶の秦君(いろぐのはたのきみ)が餅を的にして矢を射たところ、餅が白い鳥になって飛び、山の峰に降りて伊奈利となったので神として祀った」ことになっている。すなわち、最初の神は狐でなく餅だったのである。

現在の祭神宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)など五柱の神で、それを総称して稲荷大明神と呼んでいる。

稲荷神社が全国に広まったのには、弘法大師空海が関与している。秦氏桓武天皇平安京に迎えて栄華を誇っていたころ、朝廷から空海に対し、真言宗道場として東寺を建立することが許された。この時秦氏は、東寺の建築用材を稲荷山から伐りだして空海に協力した。秦氏空海の将来に掛けたのである。これに対し、東寺側では稲荷神を胎蔵界曼荼羅に現れる荼枳尼天(だきにてん)と習合(同一の神体と考える)することにより、秦氏の協力に報いた。これ以降、真言宗の布教とともに、稲荷信仰は全国に広がっていく。

狐と稲荷の結びつき

さて、狐とのつながりだが。

真言密教では「荼枳尼天の別号を白晨狐王菩薩とも称し、稲荷の神体これなり」と説いている。荼枳尼天は白い狐にまたがり剣と宝珠を持つ天女とされる。真言密教は、荼枳尼天、狐、稲荷神社と密接に結びついている。

また、狐が米の大敵であるネズミを取ることから、春から秋には田の神として、冬には山の神として狐を祀る民間信仰があった。この狐が農耕神である稲荷神と結びつくのは自然な流れである。この他にも、狐との結びつきが、農耕神のひとつである御倉津神が三狐神とも書かれるからという説もある。

いずれにしても、稲荷の狐は皆に愛されている。江戸時代、初午は大切な祭日であった。稲荷を祀る大名屋敷や旗本屋敷が開放され、多くの町人が参拝する。そこでは、狐の好物とされる油揚げが供えられる。稲荷大明神を押しのけて、まるで狐が主祭神であるかのようだ。

しかし、稲荷神社の狐はあくまでも稲荷大明神の眷属である。神使(みさきがみ)とも呼ばれるが、本当の神といえるかどうかも微妙なところだ。会社でいえば稲荷大明神が社長ならば、眷属である狐はせいぜい課長か部長どまり。そんな狐がBABYMETALを導けるのだろうか。

そもそも稲荷大明神がお告げをなすときは、狐を使うのではなく、みづから人の夢枕にお立ちになる。私の実家にはお稲荷さんの祭壇があるのだが、我が家の言い伝えでは、稲荷神が曽祖父の夢枕に立って「我を祀れ」と仰ったということだ。夢の中では、稲荷神は狐ではなく人の形をされていたそうな。

では、BABYMETALを導く狐神は稲荷神社の狐ではないのか。

飯綱権現

そこで登場するのが、飯綱権現だ。飯綱権現の本源は長野県の飯綱神社である。飯綱神社は稲荷神社と同じく荼枳尼天を祀っていて、山岳宗教との結びつきが強い。

江戸時代末期に国学者前田夏蔭が「稲荷神社考」という本を著した。この中に「妖狐をあらはに祭るをおそれ、荼枳尼と称え、摩多羅神と称え、飯綱権現と称え、夜叉神と称え、福大神と称え祭れるは、いづれも妖狐之摩多羅神は其の形三面六臂にして...」という記述がある。

つまり、飯綱権現というのは世間をはばかる仮の姿、実は妖狐である、ということだ。ここでは狐が堂々たる主祭神だ。

「BABYMETALは飯綱権現を称する妖狐に導かれて、メタルレジスタンスに旅立つ」