BABYMETALと娘義太夫

昔、娘義太夫という芸能があった。「あった」というのは、もう今は無いからである。今は「女流義太夫」という名で形式的には受け継がれているが、中身は異なっている。

もし今かつての娘義太夫に類するものを探すとすれば「アイドルビジネス」であろう。年端もいかぬ若い娘に若い男が熱狂するという図式は、日本には昔からあった。

義太夫が最も熱狂的な人気を得たのは、明治20年代から30年代である。この時期には、早稲田・慶應や明治の書生たちが15・6歳の若い娘に熱狂し、出演する寄席を追い掛け回し、はては彼女たちが乗る人力車の引き棒を車夫から奪いとり自分たちで引いてまわった。寄席では前席に陣取り、語りが佳境に入ると「ドースルドースル」という合いの手を入れる。このため彼らは「ドースル連」と呼ばれ、廻りからは相当に迷惑がられた。娘義太夫の方でも、語りに熱中してくると大きく首を降って挿した簪を落とし、それをドースル連に拾わせるというわざとらしい演出をするものが出てきた。

芸よりも美貌と流し目で売り出すものも現れてくる。寄席の方でも、人寄せのために彼女らをにわか真打ちにしたて、これに悪乗りする。こうしてスターになった娘義太夫のなかには、ひいきの青年実業家と結婚して引退するものも出る。ところが、そのうち夫の事業が失敗して離婚後に子連れで復帰するという、現代とかわりない人間模様がくり広げられた。

日本のアイドル文化

実は、娘義太夫の熱狂は明治が最初ではない。文化文政から天保にかけても社会現象と言えるような娘義太夫人気があった。この時には、旗本の子弟や各藩の江戸詰め藩士たちが娘義太夫に入れあげて身を持ちくづすという事態が頻発し、娘義太夫が幕府から禁止されるという結果になっている。

このように、日本には「アイドル文化」の歴史がある。その歴史における紆余曲折を経て、現代のアイドル好きの人たちには自主規制のモラルがあるように思われる。握手会とかいうとんでもない営業活動が成立するのも、彼らが握手はするがそれ以上は求めないというモラルを守っているからなのだろう。

しかし、そのモラルが邪魔になる時もある。

BABYMETALは外国公演の方が良い

少し前に武道館公演のライブ盤を買った。YouTubeなどを除いて手に入るうちでは最新のものだから聴いているが、実はライブ盤としてはあまり良いとは思わない。その原因は、観客がひたすらBABYMETALの3人を守ろうとしているからである。

BABYMETALのファン層は、昔からのアイドルとしてのファンと最近のアーティストとしてのファンが共存している。その中でもコンサートにまで行こうというファンは、やはりアイドル好きが多いようだ(武道館の段階では)。少なくとも私のようなおっさん連中は、恥ずかしくてコンサートなんかに行けない。だから、武道館の聴衆はBABYMETALにとても優しい。お行儀よく合いの手を入れ、お行儀よくペンライトを振り回す。たとえ出来が良くなくても「いいよ、いいよ」という雰囲気が満ちている。

だがこれはアーティストである演者にとっては、決して良いことではない。

これでは、Sonisphereにおけるような中元すず香のカリスマ性が出てこない。Brixton Academyでの、ゆいもあの天衣無縫なアジテーションが発揮されない。もあが特集番組で言っていたように、彼女たちが「自分の知らない自分をみつける」ためには、聴衆が彼女たちに緊張感を与えるような存在でなければならない。

その点、外国公演は違う。そもそも日本でないという緊張感がある。それに加えて。

驚いたことに外国のファンにも、BABYMETALをアイドルとして愛しているらしい連中がいる。ところが彼らは長いアイドル文化の基盤を持たないから、いわば洗練されていない。そのため、ちょっと無茶苦茶なところがある。明治時代のドースル連に通じるものがある。それが、怪我の功名とはいえ演者に緊張感を与えているように見える。

Live in Londonが5月20日発売とのこと。LinuxでBlue Rayを視られるようにしなければ。