BABYMETALの30周年

彼女たちはバンドなんかじゃないよ。30周年なんて想像もつかない。彼女たちは現象なんだ。そういうものは消えてゆくものさ。それは避けられないことなんだ (伊藤政則の発言。Metal Hammer 273号*1のカバーストーリーの挿入記事より)

音楽評論家の伊藤政則が、Metal Hammer 273号のカバーストーリー*2に挿入されたインタビュー記事*3の中で、BABYMETALのことを批判的に語っている。確か、伊藤は2014年の年末のラジオ番組では、BABYMETALを特に批判していなかったようなのだが*4、イギリス人の記者には本音が出たのかも知れない。ところが2016年になると、伊藤はBABYMETALを評価する立場に変わったようで、そのことを変節だと批判されたようだ。

私は、伊藤の評論は全く好きではないが、上の批判については弁護したい。音楽というのは大衆文化であって、そもそも大衆文化に正解はない。唯一のよりどころは大衆の好みだ。だから、伊藤が当初、BABYMETALを認めていなくても、Wembley Arenaで日本人初のヘッドライナーとなった後では、BABYMETALを認めざるを得ないのだ。それは変節ではなく、大衆文化を評論する立場の人間として当然の態度だ。むしろ、伊藤に自らを認めさせたBABYMETALをほめるべきだろう*5

だが、本題はそれではない。BABYMETALの30周年だ。

30周年はあり得ないことなのか

伊藤は「30周年」という言葉を、全く有り得ないはなし、想像もつかない出来事だという意味で使っている。おそらく彼は、BABYMETALに対する評価を変えたらしい今でも、BABYMETALに「30周年」があるなどとは露ほどにも思っていないだろう。

しかし、それは伊藤だけではない。BABYMETALのファンの大多数も、そう思っているに違いない。そのことは、多くのファンがBABYMETALの解散を明日にでも来るのかと心配していることからも窺える。でも、考えてもらいたい。Rolling Stonesが50年以上続くなんて誰が想像したか。それに比べれば、BABYMETALの30周年なんて大したことじゃない。30周年でも、まだ彼女たちは40歳そこそこではないか。

解散を心配している人たちの多くは、アイドルとして彼女たちを見ているのだろう。そういう人たちは、心配しているというより、なかば解散を期待しているのではないだろうか。キャンディーズが解散したことによって永遠のアイドルになったように、オバサンになったBABYMETALを見たくないのかも知れない*6

64歳のSindi Lauper

これに対し、音楽としてBABYMETALを聴いている人たちは、彼女たちがオバサンになることなど全く気にしない。メタルファンはBABYMETALにメタルの復興を託しているのだろうし、メタルファンでない私たちは、BABYMETALが世界の音楽シーンをリードする初めての日本バンドになることを期待している。

64歳のSindi Lauperや59歳のMadonnaの現在の姿を見れば、40代のSu-metalが世界を代表するロックシンガーであっても、何の不思議もない。

ビジネスとしてのロック

私は「BABYMETALと解散」という記事で、BABYMETALの解散について考えてみた。そこで、株式会社アミューズにとっては、現状ではBABYMETALの解散を許すことができる余地が全くないことを示した。少子化で先細りが確実な日本の興行界にあるアミューズにとって、海外展開は唯一の希望であり、その中心がBABYMETALなのだ。

一昨年のことだったか、AC/DCがツアーを前にしてリードシンガーのBrian Johnsonにドクターストップがかかってしまった。そのとき彼らは、ピンチヒッター*7をたててツアーを乗りきったのだが、これは著名なロックバンドがビッグビジネスであることの証しだ*8

斯くの如く、ロックバンドのビッグネームは、否応なくビジネスに組み込まれてしまう。BABYMETALも、AC/DCには比ぶべくもないとはいえ、アミューズという上場企業に所属しているだけに、やはり経済原理を無視することはできない。国外におけるBABYMETALの現在の知名度は、ほとんど奇跡のようなものだ。それを一から作り上げることを考えると、BABYMETALの名前は既に十億円以上の価値がある。たとえ「BABY」を名に負うとしても、十年後も彼女たちが、この名前を使うことには確かな経済的合理性があるのだ*9


唯一、解散の可能性があるとすれば、BABYMETALの人気が落ちて解散せざるを得なくなる場合だ。多くのBABYMETALヘイターたちが望んでいるように、BABYMETALがギミック的あるいはアイドル的な人気に乗っているだけならば、確かにそうなるだろう。

だが、私はそうではないと思っている*10。一昨年の夏に、そのような夢を見た。

真夏の夜の夢

シェークスピアの「Midsummer Night's Dream」の「Midsummer」は、実際には「真夏」ではない。それは黄道上の真夏、つまり夏至の日のことだ。そして「Midsummer Night」は夏至の前夜を指す*11。ヨーロッパのいくつかの地方には、夏至の前夜に妖精たちが大騒ぎをするという言い伝えがある*12


こんなことを言うのは、暑い夏の夜に見た夢のなかで、Glastonburyの大トリのステージに立ったバンドのフロントウーマンが、「今日は『Midsummer Night』だから、お化けが大騒ぎするんだ」と、しょうもない冗談を言っていたからだ。

彼女は、リードギターの女がステージ上を走り回って観客を煽り立てているのを、少し困り顔で揶揄していたのだ。40歳前後に見えるリードギターの女は、背は小さくてちょっと小太りだが、元気一杯で、ギターを弾くより観客の相手になる方が本職だと言わんばかりに暴れまくっていたのだが、ライトが届く限りのエリアを全て埋め尽くした観客の方も、それに乗せられて大盛り上がりだった。

50代と思われるリードシンガー兼ベーシストは、魔法使いの婆さんみたいに痩せているのだが、いったん歌い出すと圧倒的な迫力だ。自らのベースとツインドラムが作り出す重厚なリズムを背景に、10万人を越える観客を自由自在に操っていたのは、ピラミッドステージの最後を飾るフロントウーマンにふさわしい貫禄だった。

そのバンドは、トリプルギターにキーボードを加えた8人編成だった。ドラムの片割れはリードギターと同じような年格好の女で、彼女と件の二人を除く5人はいずれも若い男女だった。家族バンドのように言っていたから、3人の女の子供たちなのだろう。

残すところ最後の一曲だけとなって、ドラムの女が、はち切れんばかりの笑顔でステージの前に出てきた。ギターを観客席に投げ込んでしまったリードギターの女と一緒に大笑いしていたのだが、これもハンドマイクだけになったリードシンガーを挟んで3人で並ぶと、このバンドが何であるか、もう想像がついた。

そして、それを確信したのは、100バンド以上が出演したこの年のGlastonburyを締めくくった曲が、「Gimme Chocolate!!」だったからだ。


これは、BABYMETALが一昨年のDownloadに出るころに見た夢だ。ちなみに、夏至の前夜が日曜日になるのは2049年*13。30周年どころか40周年に近いころだ。あり得る話だと思うのだが、私がそれを実際に見るのは難しいかも知れない。

*1:BABYMETALが273号で、初めて表紙になった。273号は2015年の夏号だ。夏号は7月号と8月号の間に出版される。このためMetal Hammerの発行は1年間に13号になる

*2:カバーストーリーの翻訳は「BABYMETALとCover of the Year」に掲載した。ただし、挿入記事には触れていない

*3:44ページの左端

*4:それでも、奥歯に物がはさまったような言い方だった

*5:ところで、旧悪を暴露するようで伊藤には申し訳ないが、冒頭の言葉のなかで、伊藤は詭弁を使っている。それは「現象」が短命だという論理だ。物理的には「現象」(phenomenon)という言葉に、一時的とか瞬間的とか寿命が短いなどという意味は含まれない。例えば超電導現象は、臨界温度より低温を保つ限り無限に続く「現象」なのだ。伊藤は「現象」の正確な意味を知らずに使っているのかも知れないけどね

*6:グループのアイドルは解散することによって終わることができる。その意味で、いまの伊藤蘭キャンディーズ伊藤蘭ではない

*7:Guns N' RosesのリードシンガーAxl Rose

*8:AC/DCは世界ツアーのためにファンドを組んでいたようで、ツアーを中止することは多くの人に損失を被らせることになってしまう

*9:ひらひらのスカートを履いているかどうかはともかくとして

*10:そうならないためにも、彼女たち自身で彼女たちの音楽を確立してもらいたいと思う

*11:とても細かいことを言うと、「Midsummer Night」は「夏至の前夜」ではなく「夏至の日の夜」のことだ。というのも、当時のヨーロッパの1日は日没から始まるから。だから、「夏至の夜」が最初に来て「夏至の朝」が次にくるわけだ。これとは逆に、江戸時代の日本の1日は夜明けから始まる。そのため、夜中に討ち入りした赤穂浪士泉岳寺に報告に出向いたころには、既に12月15日になっていた

*12:シェークスピアの喜劇もそういう話ではある

*13:彼女たちの年格好から想像すると