ユリイカ!

ユリイカは、ギリシャ語で見つけるという意味の動詞であるεὑρίσκωを語源とする。これが語尾変化して、εὕρηκα(発音はヘウレーカ)となったものだ。これは一人称単数完了形の直説法能動態であり、「(私は)見つけたぞ!」と言うような感嘆を表わす*1。なお、この語の日本語表記には様々な形があり、英語やラテン語の発音からすればユーリカやエウレカなどの方が近いが、ここでは「ユリイカ」でなければならない特別な事情がある


一年以上前に「BABYMETALと又吉直樹」という記事を書いたのだが、それに対して意外なコメントを頂いた。その記事は、BABYMETALとMetal Hammerの関係と、又吉直樹と雑誌「文學界」の関係の間に、形態的な一致があると指摘したものだ。コメントを頂いた方の要望は、それと同じような分析方法でAKBを取り上げてくれということだった。

おそらく、その方は、BABYMETALを「アイドル」として捉えているのだと思う。しかし、私は「アイドル」というビジネスモデルは好きではない。素人ぽい十代の女の子をたくさん集めて、若い男性に媚びを売るようなやり方は、とても気持ちが悪い。

その私がAKBに関係する、と言うよりむしろその中心にいる、数週間前までその名前の読み方さえ知らなかった人物を取り上げるとは、一年前には想像もしなかった。しかし、その人物の圧倒的な才能に驚いてしまったのだ。

ユリイカ!」だ。

365日の紙ひこうき

私は、趣味で近世の大坂*2について調べている。近世大坂を代表する両替商と言えば鴻池屋と加島屋である。その加島屋の明治以降の消息を調べていて、京都の小石川三井家から加島屋に嫁いだ広岡浅子という女性が、明治から大正にかけて日本で最も著名な女性実業家であったことを知った。

それからまもなく、偶然にもNHK広岡浅子をモデルにしたドラマ「あさが来た」を制作することになった。だから、私はそのドラマをたいへん楽しみにしていたのだが、主題歌をAKBが歌うことを知り、なんだか興ざめな気分だった。

しかし、その主題歌はなかなか良いものだった。リードシンガーの淡々とした歌いぶりとその声がとても心地よかった。一週間分をビデオに撮って観るときにも、毎回繰り返されるタイトルバックが、その歌のためにさほど退屈にはならなかった。

正月の休みに、そのリードシンガーの名前がインターネットニュースに載っていた。暇にまかせてyoutubeを検索して紅白歌合戦の出来事を知ったのだが、それよりも驚いたのは、彼女があの主題歌を弾き語りで歌っている動画だった*3

それは、素晴らしい声だった。特に声を張ることもないのだが、とても良く透る。癒やされる声だ。それでありながら、圧倒的な迫力を内に秘めている。結局、ドラマで流れていた歌はなんだったんだ?明らかに、この歌は彼女が一人で歌うべきだった。

僕らのユリイカ

そして、下の動画を「見つけた」。

本来、ここには動画をエンベッドしていたのだが、その動画がリンク切れになってしまった。テレビ番組の録画を載せたものらしく、著作権の問題で削除されたようだ。AKBグループ夏祭りという3日間行われたコンサートの一部だ。このページにスナップショットが掲載されている。

素晴らしきロックンロール。ロックンロールはこうあるべきなのだ。エレキギターを抱えた立ち姿が決まっている*4。時々、観客に愛想を振りまきながら、鼻歌のように歌うが、リズムは決してはずさない。体を左右にゆする動きとピックの上下が、彼女のリズム感の秀逸さを物語る*5。時折、弦を抑える左手を目の端で捉えるときの匂い立つような美しさ。そして、何よりも魅惑的な声。

「声良し、顔良し、姿良し」というのは、全てを兼ね備えた歌舞伎役者に対する賞賛の言葉だ*6。彼女には、それが相応しい。ロックバンドのフロントウーマンに必要な全てを、最高の水準で持っている。

その彼女が、何故、自分のバンドを持っていないのだ?

世の中には、時々、矛盾に満ちたことが起きるものだが、これはその最たるものだ。このビデオは2年半前のものらしい。その間、彼女は何をしていたのだ? 仲間が何人いるのか知らないが、その中で一番であろうが百番であろうが、そんなことどうでもいいじゃないか。


話はここで終わる予定だった。だから、表題を曲名に掛けたオチにしたのだ。しかし「ユリイカ!」はまだ、あった。もっととんでもないやつが。そして、それは、上の問に対する完全な回答にもなっていたのだ。

Rainbow

私は、ここまで彼女のことを賞賛してはきたが、あくまでも声が良いのであって、歌が上手いとは思っていなかった。しかし、去年に出たファーストアルバムを聴いて、それは完全に覆された。このアルバムのマスタリング・エンジニアが、次のようにツイートしている。

とんでもないアイドルが世にはいるものだとハート掴まれました。ハート鷲掴みの超傑作です。「アイドルじゃんか」と思っている人に聴いて欲しい。ビビリます

そう、これは素晴らしいアルバムだ。これを「アイドル」のアルバムと捉えると、完全に間違ってしまう。これは、卓越したボーカリストが、彼女の才能に惚れ込んだプロデューサーと一緒に、入念に作り上げたアルバムなのだ。

私は、宇多田ヒカルが自分の曲をR&Bだと言っていることが理解できなかったのだが、このアルバムを聴いて、その理由が分かった。それはリズムの問題だったのだ。宇多田と違って、この人はR&Bを確かに歌えるのだ。しかも、それは彼女が書いた曲だ。

しかし、それでさえこのアルバムの一部でしかない。この陳腐なアルバムタイトル「Rainbow」に必然性が感じられるほど、ロックンロール、Jポップ、ヒップホップ、ダークなロック、フォーク、ラブバラードと曲想は多岐に渡り、彼女は曲ごとに歌声とリズムを使い分けている*7

このアルバムはファーストアルバムでありながら、ひとつの到達点とも言うべきものだ。

究極の自信家

しかし、このようなアルバムを出してしまったにも関わらず、彼女によれば、これは「夢への第一歩」なのだそうだ。シンガーソングライターになるのが夢のはずなのだが? それは、既に実現したろうに。とても高いレベルで。しかも、まだ「アイドル」を続けるのだという。かたや、これほどの才能に恵まれているにも関わらず、自分に自信がないのだともいう。

この矛盾に満ちた人物像の謎は、実は簡単に解ける。

彼女は究極の自信家なのだ。もちろん、そのことに自分では気付いていない。あるいは、目をそむけている。おそらく、彼女が考える自分の将来の姿(あるいは夢)は、とてつもなく高いところにある。それに比べれば今の姿は追いついていないから、そのことを自信が無いと表現しているのだろう。

だが、彼女の「自信が無い」という表層心理は破綻する。彼女の深層心理が、どれほど高い「夢」であっても、そのうちに達成できるよと囁いているからだ。彼女にとって「アイドル」を続けることは、アーティスト生活の息抜き、あるいはモラトリアムなのだろうが、そんなものは何の障害にもならないと深層心理は断言する。しかし、たった2ヶ月弱でこのアルバムを作ってしまう結果を見せつけられれば、その不遜なほどの自信を否定するのは難しい。

せいぜい早く、セカンドアルバムを出してくれることを。

*1:アルキメデスが叫んだ言葉としてし、良く知られている。ある時、アルキメデスシラクサの王から、黄金製の王冠に銀が混ぜられていないかどうかを調べるように依頼された。そのためには王冠の体積を測って比重を求める必要があるのだが、それが難しい。彼は風呂に入った時、風呂おけから溢れる湯の量から物体の体積を求める方法に気づいた。そして、この言葉を発しながら、裸で街中を走り回ったとされている

*2:明治時代の初めまで、大阪は大坂と表記した。大坂は江戸、京都と並ぶ徳川幕府の直轄地であり、江戸時代の経済の中心であった。日本全国の産物は、大坂に船で運ばれ、ここで取引される。各藩から集められた米は、大坂で蔵屋敷の管理を担う大商人により換金される。これらの大商人は、両替商として各藩に対する金融機関の役割を果たし、いわゆる大名貸しを行う。大坂の大商人は、現在でいえば、総合商社と銀行を兼ねた存在だったのである。その代表として知られるのが、鴻池屋と加島屋である

*3:座ってアルペジョで弾いているより、立ってストロークで弾いている方が、声が良い

*4:ギターを数年習ったぐらいでは、このような立ち姿はできない。高音部のソロが少し変だが、たいして練習もしていない余興だから、こんなものだろう。それでも、低音のソロはなかなかいける。前に取り上げたAlabama ShakesのBrittany Howardよりも弾けるだろう

*5:この演奏の素晴らしいさは、バックバンドのオッサンたちの楽しそうな様子が表している

*6:当代では、十五代目片岡仁左衛門を評するときに使われる

*7:これ以上書ききれないので、別にアルバムレビューをすることにしたい