読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

BABYMETALと愛

BABYMETAL

何故こんな曖昧な表題をつけたかというと、Metal Hammerを論じた記事に対するコメントで、私の言いたかったことと異なるご意見を頂いたからである。私はMetal HammerがBABYMETALを持ち上げるひとつの理由が、メタルの危機を原因とする経済力学に基づいていることを言いたかった。しかし、もうひとつの理由については、あまりにも自明だと思ったので何も触れなかった。そのことが誤解を招いた可能性がある。

又吉直樹は愛されている

前々の記事で、BABYMETALと又吉直樹を比較して、置かれている状況の相似性を指摘した。ここでも、その相似性を利用して、Metal HammerとBABYMETALの関係を表現してみたい。

芥川賞受賞以来、あるいは「火花」の文學界への掲載以来、あるいはもっと前からかも知れないが、又吉は出版界のアイドルになった。又吉の芥川賞を出版界における、ここ数年間で最大の出来事だという人もいる。又吉を礼賛する声が溢れている。しかし、出版界の大きな利益につながることだけが、その理由ではない。

又吉は愛されている。それは、ひょっとしたら人気芸人になる前からかも知れない。私は知らなかったが、彼の人気が出る前から彼が本好きであったことは良く知られていたらしい。そもそも、匂い立つが如き才気に溢れるも、極めて謙虚で、純粋に本を愛するおとこが出版界に嫌われるわけがない。

だからこそ、又吉の芥川賞は祝福され、それをビジネスのきっかけにしようと企てるわけである。いくら儲かるといっても、嫌なやつに乗っかりたくはない。

Metal Hammerはリスクを取った

BABYMETALも、Metal Hammerに愛されている。

しかし、状況は又吉の場合よりも、厳しい。BABYMETALをサポートすることは、大きなリスクを取ることである。彼らは、リスクを取っても、BABYMETALを押し出すことを決断した。だから、273号が売れたことは、彼らにとって当然の報酬である。

イギリスでのBABYMETAL批判は、彼らの記事から推測すると、主に次の2点に集約されるだろう。

  1. バンドが、manufacturedであること
  2. 彼女らが、cutesyに過ぎること

このうち後者は、Metal Hammerには、どうしようも無い。「cutesy」というのは、「ぶりっこ」と訳すこともあるようだ。可愛らしさを強調することである。日本の少女アイドルが欧米で受け入れられなかった原因である*1。少女が年少であれば、半年ほど前の記事に書いた「Pedophillia joke」にもつながる。

実は、私は少女アイドルのビジネススタイルが理解できない。そんな私でも、日本で慣れているからなのか、BABYMETALが「cutesy」に過ぎるとは思わない。だが、ロックフェスティバルの出演者の中にBABYMETALの写真が並んでいると、さすがに違和感はある。

しかし、これはBABYMETALのスタイルである。変えることはできない。

BABYMETALがmanufacturedであること

コメント欄に頂いたご意見の中に、「Metal HammerがBABYMETALを取り上げるのは、大きな事務所が背景にあるからではないか」という主旨のものがあった。しかし、私はそれには反対である。

イギリスのメタルファンは、バンドに「金と権力」の匂いがするのを極端に嫌う。これがメタルの精神である。だから、One Directionなどは嫌われるどころか軽蔑の対象である。メタルとポップは正反対の概念である。彼らがアミューズの存在を受け入れることは*2、BABYMETALに好意的なメタルヘッズの支持さえ失いかねない。

この気持ちはたいへん、よく分かる。そもそもロックミュージックが、そういうものだった。Metal HammerとKerrangの賞を経済原理に結びつけた記事を私が書いた動機も、日本の記者がKerrangのことを「世界で最も権威のある」などと評したのに反発を感じたからである。「権威」だとか「権力」とか「大金」とか「大きな事務所」とかそういうものは、ロックミュージックには似合わない*3。おそらく、こんな感覚は日本の若い世代には全く理解されないと思う。

再び273号の記事から

BABYMETALの年若い少女たちが、こんな心情を理解するわけもない。だから、彼女たちはDownloadの翌日に、ポップグループのコンサートに行ってしまうのである。とまどった記者が「メタルとどっちが好き?」と聞くと、彼女たちは笑いころげた後「どっちも!」と答える。

Metal Hammerの記者は、BABYMETALがこちら側(メタル側)であることを必死に強調する。

そのために小林啓が、昔からのメタルファンであることを印象づける。彼のアイドルであったDragonForceと、ひとつの部屋で打ち合わせをしている自分が夢のようだ、と言わせる。バンドのいわれを明かす際にも、Amuseという単語は一切、登場しない。BABYMETALはあくまでも、熱狂的なメタルファンであるKey Kobametal Kobayashiが作り上げたバンドなのである*4

ヘドバン誌の梅沢直幸の力も借りる*5。彼は日本のアイドルビジネスについて説明した後に答える。「だけどBABYMETALの場合は、全く反対を行ったんだ。彼女たちが始めたときのやり方を見たら、そこには一切、大金の匂いなんか感じられない。彼女たちはアイドルグループではあるけれど、そうだね、ある種のオーガニックな感じがあるんだ」。

愛のさざなみ

しかし、彼女(記者は女性である)の愛に対して、小林はつれない。「BABYMETALがメタルだとは、あんまり思ってないよ」。

ちょっとびっくりする彼女に、「BABYMETALはBABYMETALなんだ。もし10年前にBABYMETALが出てきたら、僕だってメタルを壊すなと攻撃する連中のひとりだったと思うよ。だけど僕がBABYMETALを作りたかったのは、全ての音楽ジャンルの中で、メタルだけが唯一、いろんな要素を受け入れることができるからなんだ。ラップメタル、メロディックメタル、パワーメタルにブラックメタル。メタルの世界はとても内向き志向だけれども、その裏返しで、 実は他のいろんな音楽に開かれているんだ。だからこそ、BABYMETALはここにいるんだよ」。

彼女に疑念が生じる。「新しいジャンルを作るというけど、なんかマーケティング志向みたいにも聞こえる。それじゃあポップにもメタルにも味方がいなくなるんじゃないの?ちょっと微妙」。

小林が答える。「それ*6をポップと言ってもいいし、ヘビーミュージックと言ってもいい。だけど結局、それはどちらでもないんだ。それらが交じり合ったものなんだよ」。

彼女の(あるいはMetal Hammerの)純粋な愛は、小林に振り回されている。この愛は成就するのだろうか。

交叉しない愛

この記事を書いていて、最初に彼女が「混沌に満ちた72時間(72 hours of chaos)」という言葉を使った理由が、やっと分かった。

混沌に満ちているのは、彼女の頭の中だった。

そもそも2人(小林と記者)の論点が、ずれているように思う。多くのメタルヘッズと同様、彼女のメタルの概念の中には、精神性が重要な位置を占めている。だから、ポップとの関係は譲れない。

これが日本人には分かりにくい。そもそも日本では、英語の歌詞を聞き取れる人がほとんどいないために*7、ロックミュージックの歌詞はあまり重要でない。しかしイギリスでは、バンドが世間に何を訴えたいのかが重要である。

だからこそ、BABYMETALのIDZが評価されている。例え日本語が分からなくても*8、彼女たちがイジメ反対を歌っているという事実が訴えるのだ。彼女たちは「cutesy」だけれども、ちゃんと主張しているじゃないか、とBABYMETALのファンはヘイターに言い返すのだ。

残念ながら、Metal Hammerの記者の疑念に対する小林の主張は、音楽性に限定されている。音楽性だけなら、別にポップが入ってもよい。単なるポップメタルではないか。

このままでは、この愛はスレ違いに終わってしまう。順風満帆のBABYMETALの、唯一の心配事である。

そして、このスレ違いに折り合いをつけない限り、BABYMETALは絶対に、メタルを背負うことはできない。

*1:日本のサブカルチャーの浸透で、最近は少し違うらしい

*2:たとえ広告を出してくれていても

*3:実際にはロックミュージックはビッグビジネスである。しかし、本音と建前というものがある

*4:ひょっとしたら、Metal Hammerが狐神を多用するのも、アミューズを表に出さないためなのかも知れない

*5:彼も同行していたのか?

*6:もちろんBABYMETALのこと

*7:私も英語の歌詞を聞き取るのは苦手なのだが、世代的に彼らの感覚は分かる。昔は世の中がそうだった

*8:BABYMETALのコアなファンは、みんな歌詞の意味を知っているし、歌うことができる。新曲が出たら、たちまち訳詞とローマ字表記がRedditにアップされるのだ。BABYMETALのファンダムは、世の中で最もグローバルなコミュニティーかも知れない