「ガールズバンド」はやめてくれ

山本彩はむかしガールズバンドでギターを弾いていた」などと聞くと、とても気持ちが悪い。

何が気持ち悪いかというと、「ガールズバンド」が英語のルールに合っていない。英語で綴ると "girls band" となるのだろうが、これは間違っている。

この場合、"girls" も "band" も名詞なのだが、前に置かれた名詞が後の名詞を修飾する形容詞的用法と言われるものだ。これについてはかなり厳格なルールがある。それは形容詞的用法の名詞は単数形になるというもの。例えば、"cats food" ではなく "cat food" になる。だから、正しくは "girl band" なのだ*1


さらに言えば、"girl band" という英語の使い方がおかしい。あまり使われないが、そういう用法があることはある。しかし「女の子ばかりの ”楽器を演奏する" バンド」という意味ではない。

その意味を考えるには、まず "boy band" の意味を知る必要がある。"girl band"と違って、"boy band" は頻繁に使われる。それどころか、"boy" と "band" をつなげて "boyband" というひとつの名詞になっている。

今なら "boyband" としてすぐ思い浮かぶのは、韓国のグループBTSだ。ジャニーズのグループも一部を除いてあてはまる。その特徴は、基本的に楽器を演奏しないこと。加えて、アイドル的なバンドであるという意味も含まれる。

"girl band"*2 は "boyband"からの派生でできた言葉だ。だから「楽器を演奏しないアイドル的な女の子のグループ」という意味になる。


英語の意味からすれば、山本彩が一昨年まで所属していたアイドルグループこそ「ガールバンド」と呼ぶべきであって、それ以前に所属していたロックバンドを「ガールバンド」と呼ぶのは正しい使い方ではないのだ。

まして「ガールズバンド」なんて、とんでもない。

*1:これに似た間違いはたくさんある。靴屋のことを「シューズストア」と呼ぶことがあるが、正しくは「シューストア」。野球中継で甲子園のことを「タイガーススタジアム」と呼んでいることがあるが「タイガースタジアム」でなければならない

*2:"boyband"のように頻繁に使われるわけではないから、結合して一単語になってはいない

「春はもうすぐ」と山本彩の俠気

山本彩は多くの人が知る元アイドルだ。それ故、アーティストとしてやっている現在も、アイドル時代のファンダム*1が維持されているようだ。

残念なことだが、アイドルファンから移行した連中のなかには、とんでもない迷惑な連中がいる。全く音楽が分からないくせに、山本のアーティスト活動に対して、えらそうに文句をつける。

一月ほど前、山本彩CDTVのテレビ番組で「春はもうすぐ」を歌ったとき、彼女のファンの中の、いかにも自分は音楽のことが分かっているという風な連中が、彼女のパファオーマンスを批判していた。やれ、声が出ていないとか、音を外していたとか。

いや、もちろん、彼らの言うことが当たっていたら何も言うこともないのだが、全くスカタンなほど外れているから、他人事ながら恥ずかしい。

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「春はもうすぐ」に込めた思い

山本は、ツアーが延期になった直後、ファン向けに3人編成でライブ配信を行った。その中の1曲がいきものがかり水野良樹が提供した「春はもうすぐ」だ。この曲だけがいまでもYouTubeに残っているが、ツアーやCDとは全く違ったアレンジで、山本は歌っている。

山本は、この曲でコロナ禍の人々の気持ちを表現しようとしているのだ。


一番は、ひたすら声を絞り、出るか出ないかのぎりぎりの所で歌う。それは歌というより語りに近い。コロナ禍で打ちひしがれた状況を表現しているわけだ*2

それに対し、二番は正調に戻る。人々落ち着きを取り戻しつつあることを表している。そして、サビは思い切り声を張る。我々は負けずに立ち上がるんだという決意の表現だ。

サビには振りまでいれて、ちょっと芝居がかりすぎだと思わないでもない。これまでの彼女とは明らかに違う。


だが、この曲に込めた彼女の思いは容易に想像できる。

山本の所属事務所は吉本興行傘下とはいえ、それほど大きな事務所ではない。山本が一番の稼ぎ頭だ。その彼女のツアーが中止になってしまったら、その損失は莫大なものになる。会社の倒産も覚悟しなければならない。苦労してやっとアーティストに専念できる状況を手に入れたのに、それが消えてしまうかも知れない。

だが、滅入ってばかりも居られない。彼女の肩には、社員や所属アーティスト全員の生活がのしかかっている。何とかしなければならない。「春はもうすぐ」は、そんな彼女の気持ちでもあったのだ。

山本彩の俠気

CDTVの番組というのは、ナオト・インティライミほか、コロナの自粛期間中にネット上の音楽配信で話題になったアーティストを取り上げたものだった。山本にも、おそらく「春はもうすぐ」指名でオファーされたのだろう。山本は、それにサポートチームのフルメンバーで臨んだ。

この曲は(現在のアレンジはというべきだが)、明らかにアンプラグドな3人編成でやるべきものだ。自分の声だけで感情を表現できる山本なら、バイオリンやコーラスのサポートは必要ない。ましてやリズムセクションなんて、却って邪魔にしかならない。

実際、全体としての出来はあまり良くなかった。リハーサルが十分でないのが、ひとつの原因だ。asamiなどは張り切りすぎて、サビで山本の声を消してしまうところもあった*3

だが、それくらいの失敗は山本も予想していたに違いない。あえてフルメンバーでやったのだ。


コロナ禍で苦しんでいるのは、山本だけではない。むしろサポートチームの方が、ツアー中止の影響は大きい。テレビに出演したら、少なくともギャラを払ってあげられる。そして何よりも、アーティストというのは人前で(テレビの向こうかもしれないが)演奏するのが一番嬉しい連中なのだ。

山本は、どうしても彼らと一緒に出たかったのだ。バンドを率いる*4というのは、そういうことだ。


天性のリーダーシップなのか、経験から身につけたものなのか。弱冠27歳の女性にして、りっぱなものだ。

*1:ファンダムという語は、単なるファンの集団を指すだけではない。そのファンたちが作る文化、他とは違った特有の雰囲気を指す。英語の綴りはfandom。fanとkingdomを混ぜた造語というのは間違い。domは単なる接尾辞だ

*2:音楽の分からない連中は一番は声が出ていないと言うが、当たり前だ。そもそも声を出していないのだから

*3:二人の声は高音部がかなり似ている。だから、asamiの声が勝ってしまうと音を外したように聴こえる。だがasamiだって、Download UKの舞台に立ったほどのボーカリストだ(ゲスト出演だったが、あまりにも堂々としていたので、伊藤政則が驚いていた)。思わず頑張ってしまったのだろう

*4:山本は小名川高広のことをバンマスと呼んでいるが、本当のバンマスは雇用主である山本以外の誰でもない。パートタイムバンドとはいえ、彼女にはバンドメンバーの生活を支える責任の一端がある

「棘」は出さなければならない曲だった

山本彩のユニバーサルジャパン移籍2枚目のシングル。これはミニアルバムと呼んだ方が適切ではないかと思うほど、収録された3曲が充実している。山本彩のこれまでのアルバムとシングルの中で最も優れていると思う。おそらく数年後、山本彩の音楽遍歴において、「棘」が重要なマイルストーンであったことが認知されているだろう。


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このミニアルバムが優れているという理由のひとつは、この3曲に山本彩の志向が色濃く反映されているところだ。おそらく、アレンジを誰にするか、演奏者を誰にするかを彼女が決めているのだろう。このミニアルバムではミキシングにまで付き合っているようで*1サウンドの細部に至るまで注文をしているように思われる。事実上のゼネラルプロデューサーとして、初めて自分で音楽を作り上げた気持ちではないだろうか。

ヘビーメタルの秀作「棘」

3曲のなかでも、山本彩ファンの間では、あまり評判の良くない表題曲「棘」。だが、ひょっとしたら、これは名曲なのではないか?この曲を大きめの音量で繰り返し聴いていても*2、まったく飽きないのだ。何故なのか?

「棘」は、多重録音を駆使したような重厚なサウンドが曲全体で維持される。イントロのギターリフがメロディーにやや阿っている印象はあるものの、アレンジャー自身の巧みなベースが、通奏低音としてヘビーな雰囲気を下支えする。特に2番の後の間奏が素晴らしい。コズミックなリフが曲のイメージをより深化させて、ギタリスト真壁陽平の花道が展開される。

この曲はヘビーメタルと言っていいのだろう。少なくともBABYMETALをヘビーメタルの範疇に入れるなら、この曲も立派なヘビーメタルだ。ヘビーメタルをバックにストレートな女性ボーカルを乗せるといるのも、BABYMETALの楽曲のコンセプトに似ている。おそらく、この曲をSu-metalが歌ったとしても、全く違和感がないだろう。

違うのは、「棘」の方がボーカルを際立たせるアレンジに優れていることだ。数々の歌手のアレンジを経験している根岸孝旨の力に違いない。おそらく彼としても、これだけヘビーなアレンジをオーダーされるのは稀だろう。ロックが大好きな根岸としては、何だか嬉しそうだ。

日本よりもイギリスでの方が有名なメタルバンド Crossfaith。その中でも実力者として世界に知られるドラマー Tatsuya。彼はこの曲では、あくまでもステディーなドラミングに徹している。最初は、ハクをつけるためだけに彼の名前を使ったのかと思っていた。だが「棘」を繰り返し聴くと、彼のドラムこそが、この曲を飽きさせない要因のひとつだと分かってくる。さすが堺っ子*3

シンガー兼ソングライターである必然性

もちろん主役は山本彩だ。

歌詞がいい。山本彩の怒りがヘビーメタル風の曲と相互作用して、芸術に昇華している。

冒頭の「今日もまた一輪の花が枯れていった」は、山本にとっては、具体的な名前がいくつも思い浮かぶフレーズなのだろう。彼女が在籍したアイドルビジネスは、誹謗と中傷に満ち溢れ、夢を見て業界に入ってきた少女を蝕む悍ましいシステムだ。彼女の怒りは、他のアイドルを貶めることでしか存在理由を見出だせない心無いファンに対する怒りなのか。それともシステムを裏で操る連中への怒りなのか。その悪意に満ちたシステムの、極めて少数の生き残りである山本は、傷ついて散っていった仲間たちへの鎮魂歌を歌うのか。

だが、サビの「隠さなくちゃいけないような生き方などしていない。偽りながら生きていく術など知りたくない」になると、悪魔たちの攻撃が山本自身にも向けられていたことが分かる。それに対して一見開き直ったような歌詞は、山本の気持ちの籠もった力強い歌声*4で聴くことにより、それが彼女の反撃であることがはっきりと見て取れる。彼女は、つまらない連中*5からの攻撃に、敢然と立ち向かうことを宣言しているのだ。


上の文章で「気持ちの籠もった」という表現を使った。だが、これは歌手が技術的に「気持ちを籠めた」のではない。歌手の本当の気持ちなのだ。だからこそ、「棘」のサビは感動する。

この曲のすべては必然なのだ。この曲を書くのは山本でなければならなかったし、この曲を歌うのは山本でなければならなかったのだ。この曲によって、山本彩がシンガー兼ソングライターでなければならない必然性が証明されたのだ。

「棘」を出すことによって、山本彩にとってのシンガーソングライターは、夢ではなく現実のものとなった。単なる職業となったのだ


(「棘」についての話は次に続きます)

*1:Twitterで、トラックダウンが終わってホッとしたような発言をしている。現実にそこにいないと、たぶんこのような言い方はしない

*2:ただし、音響装置を選ぶ。スマホで聴くなら性能の良いイアホンが不可欠。有線なら1万円以上、Bluetoothなら2万円以上のクラスが望ましい。そうでないと、山本彩の歌声とバックの重厚なサウンドがうまく分離できない

*3:何故だか知らないが、堺市では「江戸っ子」みたいに、堺の子供のことをこんな風に呼ぶ。おまけに「堺っ子体操」という奇妙な体操があって、運動会などではラジオ体操のかわりにこれをやる。だから堺出身の子供はラジオ体操を知らない。大阪市内の私立や国立の中学でラジオ体操のときに戸惑っている子がいたら、たいてい堺市出身だ。Crossfaith のメンバーも、宝塚出身の一人を除いて、「堺っ子体操」ができるはずだ。ゴリゴリのメタルアーティストと「堺っ子体操」の取り合わせを想像すると、とても可笑しい

*4:最近、明らかに山本彩の歌唱法が変化している。ロックを歌うことを意識してか、長期のツアーのためか、歌声が太く力強くなっている。以前より喉を開いて歌っているようだ。声帯自身にも変化があるのかも知れない。逆に、「ひといきつきながら」や「365日」のようなフォークソングは、従来のような調子で歌うことが難しくなっている

*5:おそらく彼女のファンも含めて。インタビューで、ファンの中にも彼女の転身に否定的な連中がいたことを述べている