Phoebe SnowとSan Francisco Bay Blues

「San Francisco Bay Blues」というのは妙な曲で、ブルースという名がつくのにブルースではない*1

私はカントリーソングのように思うのだが、Wikipediaにはフォークソングと書いてある。カントリーかフォークかなんて、区別があってないようなもので、どちらでもよいのだが、とにかくそう言う曲なのだ。

Eric Clapton

ところが、Claptonがブルースのスタンダードを集めた「Unplugged」の中でこの曲をカバーしているから、また話がややこしくなる。でも、下のClaptonのライブを観ると、やっぱりブルースでなくカントリーだ*2

このライブは1992年、アルバム「Unplugged」の発売に合わせて行われたもののようだ。このころになると、歌だけはやめてくれとファンが泣いて頼んだClaptonも、元からのブルース歌手のようになっている。知らない人が聴いたら、この歌手はとてもギターが上手いね、と思うかも知れない。本人にとっては、歌を歌うのは精神的に安定するのか。ドラッグ中毒から立ち直れたのも、そのお蔭かも知れないのだから、我々は、歌の合間に彼のギターソロを聴けるだけで満足するべきなのだろう。

Claptonは、グラミー賞1992年のアルバム・オブ・ザ・イヤーに加えて、なんと、最優秀男性ロック・ボーカル・パフォーマンス賞をもらっている。

Peter Paul & Mary

「San Francisco Bay Blues」は、Clapton以外にもPP&MやDylan、MacCartneyといったビッグネームがこの曲をカバーしていることからすると、アメリカではとても人気がある曲のようだ。私は、その中ではPP&Mのやつが一番良いと思う。子供のころは、PP&Mなんておっさんとおばはんが何を呑気に歌っているのだと思っていたのだが、落ち着いて聴いてみると、やはり良いものだ。

このビデオでは、「San Francisco Bay Blues」の原作者であるJesse Fullerについて、Paul Stookeyが語っている。Fullerは、いわゆる「one-man band」の演奏家だった。ビデオの中でPaulが口真似している「ボン、ボン」という音は、足踏み式のウッドベースで、ピアノのように弦をハンマーで叩くようになっている。この楽器には「Fotdella」という名前がついているのだが、Fullerの発明品らしい。Fotdella以外に、やはり足踏み式のシンバル、そして12弦ギターを抱えブルースハープとカズー*3をぶら下げながら歌うのが、Fullerの「one-man band」なのだ。

Phoebe Snow

「San Francisco Bay Blues」を取り上げたのも、結局、Phoebe Snowがいかに天才であったかということを言いたかったのだ。

下に上げたのはライブ音源ではなく、だれかがレコードから採ってスライドショーに仕立てたものだが、とにかく、上のふたつとは全く違う曲になっていることがお分かり頂けると思う。

ClaptonとPP&Mのはカントリーだが、Phoebeが歌うと、文字通りブルースと言ってもよい曲になってしまっている。ただし、ブルースと言ってもPheobe Snowのブルースという独自の世界だ。他の誰もが真似をできるものではない。それを、20代半ばのまったくの新人が作り上げてしまったのだ。

Pheobeは4オクターブの音域を持つ言われていたが、それよりも何よりも、この大袈裟にも思えるビブラートと心地よいファルセットが生み出す至福の境地。おまけにギターが上手い。それは「山本彩はギターが上手いね*4」というのとは根本的に違う。例えるなら「ブルース歌手のエリックさん*5」ぐらい、つまり最上級に上手いのだ。この曲でも、伴奏はウッドベースと彼女のギターだけで、Phoebeの世界が出来ている。

こんな天才だから、ミュージックシーンも放っておかない。

「San Francisco Bay Blues」は、前の記事で紹介した彼女のファーストアルバム(タイトル「Phoebe Snow*6)に収録されているのだが、このアルバムには、Zoot SimsやTeddy Wilsonといったジャズの大立者、Bob JamesやDavid Brombergという腕利きセッションミュージシャン*7が参加している。彼女はこの後すぐに、Jackson BrownePaul Simonのツアーに参加したり、Paul Simonとはデュエット曲まで出した。

ミュージックシーンの大立者に好かれるところは、現在の山本彩に似てなくもない。結局、それは彼女たちの才能が愛されているのだけど。

*1:淡谷のり子の「別れのブルース」がブルースでないのと似たようなものか

*2:その証拠にウォッシュボードも演奏に加わっている

*3:このビデオの後半、3人ともにカズーを吹いている

*4:山本彩ストロークの弾き語りはとても安定しているが、ピッキングはあまり上手くない

*5:もちろん、Eric Claptonのことですけどね。ただ、私などはClaptonのギターが上手いとは、実際には思っていない。と言うより、Claptonのように弾けるギタリストを上手いと思う。Claptonが価値基準になっているのだ。だから、彼と同世代のギタリスト、例えばCarlos Santanaなどを上手いとは思わない

*6:このアルバムの邦題がサンフランシスコ・ベイ・ブルースだったのはどう言う所以だったか。アルバムの帯にゴールデンゲートブリッジの写真だったか絵だったかが描かれていたのだが、日本のレコード会社は何を考えていたのだろう

*7:この時点では彼らはほとんど無名だったが、その後に名を上げた

山本彩、aiko、Phoebe Snow

三題噺みたいだが、この3人の名前を並べたのは、私が初めてに違いない。

山本彩は、明らかに、ミュージシャンとしての正当な評価を受けていない。しかし、それは彼女がアイドルであることに固執するのが一因だから、仕方ないことではある。普通の音楽ファンが、AKBだとか何とかいうグループに属するアイドルが、まともに歌えると考えるはずもない。

奇妙なことに、彼女のアイドルとしてのファンにも、グループ脱退後に彼女がアーティストとしてやっていけるかどうか、疑問を持っているのもいるようだ。たぶん、彼らは音楽を聴く耳を持っていないのだろう。

https://www.amazon.co.jp/Rainbow-%E9%80%9A%E5%B8%B8%E7%9B%A4-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E5%BD%A9/dp/B01LMYE2QU/ref=pd_cp_15_1?_encoding=UTF8&psc=1&refRID=3J3MQY6VGJ0D7DC97VDB

定評のある天与の声に加え、ビブラートも息継ぎも全てがリズムを裏打ちするという、その類まれな表現力、こんな才人はめったにいるものじゃない。

とは言え、ファーストアルバムにも漸く、すこし飽きてきた。なにしろ、この半年間、最寄りの駅まで行き帰り一時間の道のりを歩きながら、ほとんど「Rainbow」ばかり聴いていたのだから。

aiko

山本彩阪急京都線沿線の出身のようだ。ある時、シンガーソングライターに大阪出身の女性がいやに多いことに気付いた*1。代表はaikoだろう。aikoの父は東梅田の近くでバーをやっている。

菊地成孔というサックス吹きがaikoに耽溺しているらしいaikoの歌を聴いていると、「自分は恋してるな」と思うそうだ。それはそれは、涙ぐましいばかりの中年男の愛が溢れている。

その菊池が、aikoブルーノートを激賞している。日本で一番ブルーノートがうまいのは、久保田利伸aikoだと言う。私も、以前から山本彩にだた一つ欠けているのがブルーノートだと思っていたから*2、そこまで言われればと、記事に載っていた「くちびる」を含むアルバムを買った。

https://www.amazon.co.jp/%E6%99%82%E3%81%AE%E3%82%B7%E3%83%AB%E3%82%A8%E3%83%83%E3%83%88-%E9%80%9A%E5%B8%B8%E4%BB%95%E6%A7%98-aiko/dp/B007ZQKB9W

素晴らしく上手い。aikoをブルースと言う人もいる。確かにブルースと言われればブルースなんだが、Ella FitzgeraldにJポップを歌わせたような奇妙な雰囲気で、独自の音楽世界が出来上がっている。彼女も天才のひとりであるのは間違いない。

しかし、aikoをずっと聴き続けるのは、私にはしんどい。高音がときどき癇に障る。ラブソングづくしの歌詞は、毎日となると辛い。山本彩に戻るとほっとすることがある。

Phoebe Snow

aikoを最初に聴いたときに思った。これをブルースとすれば、何と言うか。アーバンブルース...。しかし、アーバンブルースも、シティーブルースも、モダンブルースも全て、1940年ごろに使われている言葉だ...。こんな感じの歌を、ずいぶん昔にも聴いた気がする。

ふいに思い出した...。そうだ、Phoebe Snow

https://www.amazon.co.jp/Phoebe-Snow/dp/B000002TVF

原題が、同名タイトルのPhoebe Snow、和名がサンフランシスコ・ベイ・ブルースPhoebe Snowのファーストアルバムにして、彼女の最高傑作。

これを長い間、思い出せなかったのだ。それが、「くちびる」を聴いた瞬間に思い出した。

ジャズの手練を揃えたアコーステックな雰囲気、透き通るような美声、そう呼ぶにはあまりにあからさまな、海の波のようなビブラート。完璧なPhoebe Snowの世界。大げさに言うと、70年代最高のアルバムではないかと思う。


というわけで、「山本彩のち、Phoebe Snowときどき、aiko」。

*1:大阪経済の沈滞を表しているのだろう。「売り家と唐様で書く三代目」という川柳にあるごとく、経済が破綻して芸事が残るのだ

*2:ところが、AbemaTVのライブはちょっとブルージーだった。新しく加わったコーラスの女性に引っ張られたのか?

北小路健「古文書の面白さ」

古書を買う面白さのひとつは、偶に当初の目論見とは違った掘り出し物に出会うことだ。ここで紹介する「古文書の面白さ」がまさにそうだった。

https://www.amazon.co.jp/%E5%8F%A4%E6%96%87%E6%9B%B8%E3%81%AE%E9%9D%A2%E7%99%BD%E3%81%95-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E9%81%B8%E6%9B%B8-%E5%8C%97%E5%B0%8F%E8%B7%AF-%E5%81%A5/dp/4106002760

この本のタイトルを見たら、この本が古文書の読み方についての入門書であるように思う人が多いのではないだろうか。私もそうだった。私は一応、古文書読みの初歩ぐらいはできるので、教科書の類はいくつか持っている。だから入門書が特に必要でもなかったのだが、行きつけの古書店で200円均一の日だったから、他の本と一緒に買っておいたのだ。

ところが、この本は古文書の入門書ではなかった。この本は、在野の国文学者である北小路健の自伝兼研究ノートというべきものだ。およそ学者の自伝などというものは退屈極まりないものと相場が決まっているが、この本はそうではない。北小路にとっては不本意だろうが、彼が旧満州の新京*1から大連まで汽車で脱出する際の描写などは、映画「大脱走」のスリルを思い出す*2。それほどに、北小路の文章は面白い。この本は日本エッセイストクラブ賞を受けている。

古文書解読

北小路の文章が面白いのは、ひとつには彼の研究の基礎に古文書解読の技術があるからだろう。国文学者が必ずしも、古文書を読みこなすことに秀でているわけではない。おそらく、北小路ほどの人は、なかなかいないだろう。だから、彼の研究には新たな発見が多い。他の人が見落としていた古文書でも、北小路が読むと新しい事実がでてくるのだ。

例えばこの書の後半部、彼は島崎藤村の「夜明け前」の創作過程を調査するべく、落合宿の旧本陣家を訪れる。そこで彼は旧本陣家の主に三幅対の掛け軸を見せられる。それは幕末の老中、間部詮勝(まなべあきかつ)*3が、この本陣に宿泊した際に作った七言絶句だったのだが、今までそれを見た大学教授や県史編纂関係者は、誰も何が書いてあるか説明してくれなかったそうで、主はおおいに不満だった。しかし北小路は、それを立ち所に読み下し、解説した。その三幅対自体は「夜明け前」に直接、結びつくものではなかったのだが、主はそれに感謝し、それ以降さまざまな史料を北小路に見せることになる。さらには、それが近隣の評判になり、多くの史料を収集できることにつながるのだった。

この一連の研究は、「木曽路文献の旅『夜明け前』探求」として出版され、北小路の代表的な業績のひとつになった*4

*1:現在の長春

*2:人の苦労を面白がるのはどうかと思うが、面白いものは面白い

*3:間部家は、徳川将軍家第六代、第七代の徳川家宣、家継親子に仕えた側用人間部詮房を初代とする。詮勝は間部家第八代当主で、鯖江藩主。大老井伊直弼政権の中枢として、朝廷から日米修好通商条約調印の勅許を得ることに成功するなど、おおいに活躍するが、直弼と対立して失脚する。彼が落合宿を訪れたのは、ちょうど条約調印の勅許を得るために京都と江戸を往復したときで、そのため攘夷派に命を狙われていた

*4:1984年の毎日出版文化賞を受賞している