北小路健「古文書の面白さ」
古書を買う面白さのひとつは、偶に当初の目論見とは違った掘り出し物に出会うことだ。ここで紹介する「古文書の面白さ」がまさにそうだった。
この本のタイトルを見たら、この本が古文書の読み方についての入門書であるように思う人が多いのではないだろうか。私もそうだった。私は一応、古文書読みの初歩ぐらいはできるので、教科書の類はいくつか持っている。だから入門書が特に必要でもなかったのだが、行きつけの古書店で200円均一の日だったから、他の本と一緒に買っておいたのだ。
ところが、この本は古文書の入門書ではなかった。この本は、在野の国文学者である北小路健の自伝兼研究ノートというべきものだ。およそ学者の自伝などというものは退屈極まりないものと相場が決まっているが、この本はそうではない。北小路にとっては不本意だろうが、彼が旧満州の新京*1から大連まで汽車で脱出する際の描写などは、映画「大脱走」のスリルを思い出す*2。それほどに、北小路の文章は面白い。この本は日本エッセイストクラブ賞を受けている。
古文書解読
北小路の文章が面白いのは、ひとつには彼の研究の基礎に古文書解読の技術があるからだろう。国文学者が必ずしも、古文書を読みこなすことに秀でているわけではない。おそらく、北小路ほどの人は、なかなかいないだろう。だから、彼の研究には新たな発見が多い。他の人が見落としていた古文書でも、北小路が読むと新しい事実がでてくるのだ。
例えばこの書の後半部、彼は島崎藤村の「夜明け前」の創作過程を調査するべく、落合宿の旧本陣家を訪れる。そこで彼は旧本陣家の主に三幅対の掛け軸を見せられる。それは幕末の老中、間部詮勝(まなべあきかつ)*3が、この本陣に宿泊した際に作った七言絶句だったのだが、今までそれを見た大学教授や県史編纂関係者は、誰も何が書いてあるか説明してくれなかったそうで、主はおおいに不満だった。しかし北小路は、それを立ち所に読み下し、解説した。その三幅対自体は「夜明け前」に直接、結びつくものではなかったのだが、主はそれに感謝し、それ以降さまざまな史料を北小路に見せることになる。さらには、それが近隣の評判になり、多くの史料を収集できることにつながるのだった。
この一連の研究は、「木曽路文献の旅『夜明け前』探求」として出版され、北小路の代表的な業績のひとつになった*4。