山本彩とSusan Tedeschi(その1)

数週間前、地下鉄御堂筋線難波駅の下りホームの柱が、大きな山本彩の顔で埋め尽くされていることに気づいた。ちょうどホームが緩いカーブをしているので、地下駅を支える20本近い太い柱に描かれた彼女の顔はちょっと壮観だ。

またあるときは、1編成10輌の社内広告が全て山本彩だった。この人はこんなに大物だったのかね?


なにわともあれ、彼女がやっとアイドル稼業から足を洗ったらしい。

だがミュージシャンに専念することを彼女のファンが心配しているようだ。「成功できるのかしら?」

私などは彼女のアイドル活動を良く知らないから、何を心配しているのか良くわからない。すでに一流のミュージシャンなのに、いまさら成功するかどうかなんて。

まあ、ギタリストとして一流かどうかなんて言われたら、それは違うだろうが、シンガーとしては完全に自分の世界を確立している。あの声と律儀なリズム感は癖になる。私はJポップが苦手なのだが、山本彩を聴いていて、その理由が分かった。Jポップはリズムを軽視するのだ。うまいと言われる人ほど、その傾向がある。山本にはそれがない。鼻歌みたいに歌っていてもリズムをきちっと表現する。少なくとも私にとっては、日本人で彼女以上の歌手はいない。


METROCKの出来には驚いた。ツアーよりもはるかに良い出来だった。別にツアーが悪かったわけではないが、ロックフェスに合せたステージングの見事さは予想を越えていた。モニタスピーカーに足をかけてアコースティックギターをかき鳴らしたスタートから、観客にタオル廻しを強要したラストまで、全ての所作が計算されていた。他のロックバンドのフロントマンがまるで素人に見えたのは、エンターテインメントの世界で長く生きてきた証しなのか。

確かに彼女の場合は、アイドルとしての経験がステージに生きているようだ。だが、それはあくまでも経験としてであって、「アイドル」という言葉で連想されるような稚拙さとは程遠い。むしろプロフェッショナルなベテランのロックシンガーだ。


そんな彼女が、やっとミュージシャンに専念する。心配は多才すぎることだ。ミュージカルにまで手を出してみたいらしい。

アイドル時代は重荷を背負わされていたようで、それを降ろしたばっかりで申し訳ないけれど、日本のロックを背負ってね。


(このテーマが長くなり過ぎたため分割しています。今回はSusan Tedeschiは登場しません。その2に続く)