「棘」は出さなければならない曲だった

山本彩のユニバーサルジャパン移籍2枚目のシングル。これはミニアルバムと呼んだ方が適切ではないかと思うほど、収録された3曲が充実している。山本彩のこれまでのアルバムとシングルの中で最も優れていると思う。おそらく数年後、山本彩の音楽遍歴において、「棘」が重要なマイルストーンであったことが認知されているだろう。


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このミニアルバムが優れているという理由のひとつは、この3曲に山本彩の志向が色濃く反映されているところだ。おそらく、アレンジを誰にするか、演奏者を誰にするかを彼女が決めているのだろう。このミニアルバムではミキシングにまで付き合っているようで*1サウンドの細部に至るまで注文をしているように思われる。事実上のゼネラルプロデューサーとして、初めて自分で音楽を作り上げた気持ちではないだろうか。

ヘビーメタルの秀作「棘」

3曲のなかでも、山本彩ファンの間では、あまり評判の良くない表題曲「棘」。だが、ひょっとしたら、これは名曲なのではないか?この曲を大きめの音量で繰り返し聴いていても*2、まったく飽きないのだ。何故なのか?

「棘」は、多重録音を駆使したような重厚なサウンドが曲全体で維持される。イントロのギターリフがメロディーにやや阿っている印象はあるものの、アレンジャー自身の巧みなベースが、通奏低音としてヘビーな雰囲気を下支えする。特に2番の後の間奏が素晴らしい。コズミックなリフが曲のイメージをより深化させて、ギタリスト真壁陽平の花道が展開される。

この曲はヘビーメタルと言っていいのだろう。少なくともBABYMETALをヘビーメタルの範疇に入れるなら、この曲も立派なヘビーメタルだ。ヘビーメタルをバックにストレートな女性ボーカルを乗せるといるのも、BABYMETALの楽曲のコンセプトに似ている。おそらく、この曲をSu-metalが歌ったとしても、全く違和感がないだろう。

違うのは、「棘」の方がボーカルを際立たせるアレンジに優れていることだ。数々の歌手のアレンジを経験している根岸孝旨の力に違いない。おそらく彼としても、これだけヘビーなアレンジをオーダーされるのは稀だろう。ロックが大好きな根岸としては、何だか嬉しそうだ。

日本よりもイギリスでの方が有名なメタルバンド Crossfaith。その中でも実力者として世界に知られるドラマー Tatsuya。彼はこの曲では、あくまでもステディーなドラミングに徹している。最初は、ハクをつけるためだけに彼の名前を使ったのかと思っていた。だが「棘」を繰り返し聴くと、彼のドラムこそが、この曲を飽きさせない要因のひとつだと分かってくる。さすが堺っ子*3

シンガー兼ソングライターである必然性

もちろん主役は山本彩だ。

歌詞がいい。山本彩の怒りがヘビーメタル風の曲と相互作用して、芸術に昇華している。

冒頭の「今日もまた一輪の花が枯れていった」は、山本にとっては、具体的な名前がいくつも思い浮かぶフレーズなのだろう。彼女が在籍したアイドルビジネスは、誹謗と中傷に満ち溢れ、夢を見て業界に入ってきた少女を蝕む悍ましいシステムだ。彼女の怒りは、他のアイドルを貶めることでしか存在理由を見出だせない心無いファンに対する怒りなのか。それともシステムを裏で操る連中への怒りなのか。その悪意に満ちたシステムの、極めて少数の生き残りである山本は、傷ついて散っていった仲間たちへの鎮魂歌を歌うのか。

だが、サビの「隠さなくちゃいけないような生き方などしていない。偽りながら生きていく術など知りたくない」になると、悪魔たちの攻撃が山本自身にも向けられていたことが分かる。それに対して一見開き直ったような歌詞は、山本の気持ちの籠もった力強い歌声*4で聴くことにより、それが彼女の反撃であることがはっきりと見て取れる。彼女は、つまらない連中*5からの攻撃に、敢然と立ち向かうことを宣言しているのだ。


上の文章で「気持ちの籠もった」という表現を使った。だが、これは歌手が技術的に「気持ちを籠めた」のではない。歌手の本当の気持ちなのだ。だからこそ、「棘」のサビは感動する。

この曲のすべては必然なのだ。この曲を書くのは山本でなければならなかったし、この曲を歌うのは山本でなければならなかったのだ。この曲によって、山本彩がシンガー兼ソングライターでなければならない必然性が証明されたのだ。

「棘」を出すことによって、山本彩にとってのシンガーソングライターは、夢ではなく現実のものとなった。単なる職業となったのだ


(「棘」についての話は次に続きます)

*1:Twitterで、トラックダウンが終わってホッとしたような発言をしている。現実にそこにいないと、たぶんこのような言い方はしない

*2:ただし、音響装置を選ぶ。スマホで聴くなら性能の良いイアホンが不可欠。有線なら1万円以上、Bluetoothなら2万円以上のクラスが望ましい。そうでないと、山本彩の歌声とバックの重厚なサウンドがうまく分離できない

*3:何故だか知らないが、堺市では「江戸っ子」みたいに、堺の子供のことをこんな風に呼ぶ。おまけに「堺っ子体操」という奇妙な体操があって、運動会などではラジオ体操のかわりにこれをやる。だから堺出身の子供はラジオ体操を知らない。大阪市内の私立や国立の中学でラジオ体操のときに戸惑っている子がいたら、たいてい堺市出身だ。Crossfaith のメンバーも、宝塚出身の一人を除いて、「堺っ子体操」ができるはずだ。ゴリゴリのメタルアーティストと「堺っ子体操」の取り合わせを想像すると、とても可笑しい

*4:最近、明らかに山本彩の歌唱法が変化している。ロックを歌うことを意識してか、長期のツアーのためか、歌声が太く力強くなっている。以前より喉を開いて歌っているようだ。声帯自身にも変化があるのかも知れない。逆に、「ひといきつきながら」や「365日」のようなフォークソングは、従来のような調子で歌うことが難しくなっている

*5:おそらく彼女のファンも含めて。インタビューで、ファンの中にも彼女の転身に否定的な連中がいたことを述べている