歴史

伊賀無足人と忍者

誤った忍者像 前に伊賀の無足人のことを書いたが、あえて「忍者」という言葉は使わなかった。これは、忍者があまりにも魅力的な存在であるが故に、伊賀の国人のあり方を見誤らせることを憂慮したからである。以前の Wikipedia には「伊賀の無足人=忍者」とい…

無足人の成立

豊臣家の滅亡後、徳川秀忠の治世、越前国北庄六十七万石城主松平忠直による「越前戒厳」の際、農民出身の兵を募り彼らに無足人という名字帯刀を保証された身分を与えたのが、無足人制度の始まりとされる。そのため、無足人は伊賀だけでなく、伊勢や山城、大…

伊賀の無足人

実際には無足人と言っても、上位のものには扶持が与えられた。そして何よりも、彼らは土地を所有する農民(本百姓)でもあり、村では庄屋を兼ねるものも多い。また、誇り高き伊賀国人であり、文化的な人間である(伊賀ではないが同じ津藩の無足人山本平左衛…

藤堂家の支配

津藩藤堂家は、藩祖高虎が家康の信任厚く外様の中でも別格譜代と言われて譜代並みに扱われた家であり、27万石の大藩である。譜代筆頭の彦根藩井伊家と隣接して、伊勢と伊賀に封じられたのはおそらく偶然ではない。西国の外様大名が江戸に攻め上るとすれば、…

伊賀惣国一揆

伊賀は伊賀惣国一揆の国である。惣国一揆は一人の大名によるのではなく、有力な国人の連合による自治政府である。支配は主従関係ではなく互恵関係で行われる。そのため国人たちの自立意識は極めて高い。そして、決して多くない人数で自国を護るための方法論…